良く分からない話


寝坊をした朝。
母さんはいつも苛々してた。
声を荒らげてた。

寝ぼけまなこでのろい私はそんな光景をパジャマのまま突っ立って見てた。

母さんが洋服を私に渡してから受話器を耳に当て『いまから行かせます』とせかせか話しているのを横目に洋服に着替えランドセルを背負いすごく荒々しい母さんの運転に身を任せる。

学校について母さんとさようならしてから誰もいない下駄箱に入る。

学校ならではの冷たく牢屋のような…あの感覚。

上履きに履き替えてクラスまでの階段を上がっていく。徐々に聴こえてくる先生の声。授業中のために声はあっても静寂が支配している空間をゆっくりとゆっくりと進んでいく。滑らすように壁に手を当てて進んでいく。

良く分からないけれど良く覚えてないけれどすごくネガティブな記憶である。

中学になるまではすごく大人しくて家族の前でも騒ぐような子じゃなかった。
ただぼーっとしていてだけどあっけらかんではなくて独り淡々とした子だった。(母さんや父さん曰く)

クラスにいても馴染むことなく話しかけられればただ笑って『こうしたい』とか『こうはどう?』とかそんな意見がでるわけもなくただ笑ってた。
そんな私を気に食わない子がたくさんいた。『なんでずっと笑ってるの?』とか『また作り笑いしてる』とか。

そのくせ笑わないでいると『怒ってるの?』なんて聞くから私はどうしたらいいのか分からなかった。

休み時間、みんなは校庭に出て男女でかくれんぼやドロケイをしたりドッチボールをしたりしてた。
中には数人の女子が教室で机をあわせて可愛い女の子の絵を書いたりしてたけれど。

基本的に私は図書室にいた。
残念ながらあまり小学校で何をしてたかは記憶にないのだけれど独りだったのは覚えてる。
日直係とか本当に嫌だったな。

『起立』とか。声でねーよ。ばーか。

そんな私でも休み時間たまに気をきかせた誰かさんがかくれんぼに誘ってくれて広い校庭で私も一緒にやった。
だけどいつまでたってもこないので隠れた場所から出てみるとだーれもいなかった。

私の小学校はキーンコーンカーンコーンって鳴らなくて時計を自分で見て生活しましょうという小学校だったゆえの結末!!多分悪気はないだろう。私の存在が薄かっただけで。

兎に角そんな事が多々あった。
掃除当番はグループで決められる。
だけど掃除する場所にいくといない。
かりにいても『あとは○○さんに任せればいいよね』『やってくれるよね?』と言われて返事をするまもなく皆はきゃっきゃっと下校していった。

あまり嫌な思いはなかったけれど小5になってから感情が育ったためか、学校に行くのがすごく嫌で仮病を使うようになって不登校になった。

上履き隠されたり教科書に落書きされたり『死ね』と言われた経験なんてない。

あれが虐めかどうかは私にも分からない。誰に相談をしても『考えすぎ』で終わってきた。上履き隠されたり教科書に落書きされてたら分かってもらえたのかななんて思った時期もあったけれど。
所詮私はそうやって中途半端にはぶかれる運命なのだ。シカトされたってもともと声が薄かったからそのせいでしょと言われたし。そうなのかもしれないし。でも悪意があるかはその場でわかるし。なんだっていいけど私はどこにいても透明人間だったようで。忍者にむいているという事なのです。忍法隠れ身の術!!

自分が弱い甘えたな人間ならそれはそれで構わない。私は私なのだからそれを受けいれる他ない。

兎に角過去を振り返って思うのはただ一つである。どれくらい辛かったかとか誰よりは幸せだったとかそういうのじゃなく。
大きくなるにつれて個性を恥じらう力が強くなってるなと。
当たり前な話なのだけれど純粋ってあれかと過去を振り返り思うのですよ。

純粋になりたいなど思わないけれど自分の個性を愛せる人間でありたい。

信じるとかじゃなくて大切な人がそうでなくなった場合にも大切な人だったことを堂々と胸をはって言える人間でありたい。

過去と今が全く違っても過去にあったことや感じたこと全て。嘘ではないと私には分かるから。それを忘れたくない。
例え過去に愛してくれた人が今、掌を返して私の悪口を言いふらしても。

人間なんて変わるのが普通なのだ。
変わらないほうが怖いしおかしい。

だからどう変わろうが全てを否定する権利などないのだと思うのですよ。

なんだかだんだん自分でも何が言いたいのかまた、よく分からなくなってきた。

おわり。
えんど。
どろん。